舞台「未婚の女」を考えてみる
舞台「未婚の女」を観にいきました。
観劇したのは10/21(土) 17:00の回。
む、むずかしい……!(100分後の感想)
でも「なんかむずかしかった」で終わらせてはいけない気がしたので、とりあえず思いついたことを書き出してみる…
夏川さんも「なんでもいいので持って帰ってください」って言ってたし、これは宿題ってことで。
1回しか観ていなければメモもとってないので、セリフとか演出とかの記憶は曖昧でレポの機能は全くないです。
観劇してから考えたこととかの自分用のメモ書き、もはや超解釈。
なので多分考察ではないです。
また思いついたら随時更新する……かも……
参考として読んだ本(2023.10.23時点)
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也, 田野大輔, 岩波ブックレット)
- マリアの死相とシーンの時系列
冒頭でストールを首にかけるシーン(終盤にも同様のシーンがある)、自ら人生を終わらせようとしているように捉えられる。
記憶は時系列順に呼び起こされるとは限らない、進行するストーリーはマリアの死の直前の走馬灯的なもの?
一連のストーリー(のメイン)はマリアにとっての"真実"でありマリア視点での"歴史"、という見方もできそう?(という考えのもと、一旦マリアを中心に据えて以降もごにょごにょ考えてみる)
- 事実と真実
物語に登場した2つの"記録"について
・ウルリケと関係を持った男性の裸の写真フォルダ
…個人の感情や思想が排除された、ある程度の客観性(事実性)のある記録
・マリアのノート
…マリアの記憶や都合のいい解釈・思い込みを含んでいる(マリアにとっては真実)
公判でのセリフ「わたくしが申し上げられるのは もう思い出せないということだけ」
→密告したという事実から意識的?無意識的?に目を逸らそうとしてる?
(2人の"記録"は対になってる……?)
歴史は事実と個人の記憶・解釈両方の側面を持っていそう。
ウルリケは「事件」の真相(歴史の一端)にマリアのノートから迫っていく。
- 制服とヒトラーの肖像
制服…正面客席から視界に入りやすい位置
ヒトラーの肖像…脇正面から視界に入りやすい位置
(余談:席が脇正面側で肖像の正面だったのでヒトラーとめちゃくちゃ目が合ってた)
戦中のドイツを象徴する上記2つと2方向からの観客の視線
→ヒトラー政権下の厳しい監視社会の表現とも想像できそう。
上演中(ヒトラーの肖像が最後まで立て掛けられてたかは忘れた……)4方向から"監視"されていることから、どの時代においてもマリアの意識の深いところにはヒトラー政権下におけるドイツの社会意識が根付いている?
- 物語における"罪"
「女性」という観点から3人の"罪"について考えてみる。
・マリア
未婚・子どもがいない…女性にとって国力のため多くの子どもを産み育てることが良しとされた戦中においては反政治的ともとれる
脱走兵密告…戦中の"村社会"における規律を守ったにすぎないが、戦後はナチ信奉者として告発される
前述した「マリアには戦中ドイツの社会規律が染み付いている」という考えに基づけば、マリアにとっては未婚であり子どもがいないことの方が罪であるのかも?
唯一の娘のイングリッドも「わたしのきょうだいはどこ?」と言わしめるあたり、戦後もひとりっ子より兄弟姉妹がいることの方が一般的だった可能性。
ウルリケに対する「相手はいるの?」…孫の未婚を気にしているようなセリフにもとれる。
夫に関する描写がなかったので未婚の母?
ウルリケがいながら夜な夜な男性の元へ遊びにいく
→母親としての役割、責任の放棄
・ウルリケ
特定の相手はいるが未婚、母と同じように一夜を共にする男性達の存在
→現代一般の感覚では不貞は良しとされない
子どもはいない
3世代の中ではいちばん女性としての役割とか責任にしばられていない存在に見える。
公判、刑務所シーンに3世代がいたのは各々の罪の暗喩?
役名が「若い女」「中年の女」「老齢の女」だから当時のマリアの年齢に合わせての演出かも。
鏡板の老松は神の依代
マリアの死相と合わせると、神の前で懺悔とか審判ともとれるかも?
3人に"罪"の意識はあるか?(2023.10.24追記)
・マリア
出所後すぐに後の夫と出会い、イングリッドを授かる
→未婚であり続けること、子どもがいないことへのうしろめたさ?
画面越しにキスをしようとするなど、30そこらの娘に対して過剰な愛情表現では…
→幼少期のウルリケを蔑ろにしたことへの贖罪?
・ウルリケ
関係を持った男性の裸の写真を収集、証拠を残すような行動(終盤、写真が見つかって不貞がバレるわけだが……)
→不貞に対するうしろめたさがないのかも?自分から誘うようなことも言ってたし…
- 赤いロープ/あやとり
赤いロープでがんじ絡めのイングリッドが斧を振り下ろす
→世間からナチ信奉者とされた母マリアとの逃れられない縁(血縁、因縁、責任)への否定や拒絶、復讐
(このシーンで語られたエレクトラ、ギリシャ神話では父を殺した母と愛人に対して復讐をする、らしい)
マリアとイングリッド"罪"の価値観の違い?
祖母マリアと孫ウルリケのあやとり
同じく赤なので血のつながりとか縁を象徴してそうだけど、ロープに比べて細く、絡まっていない
→孫世代の戦争との因縁の薄さ?
- タイトルの「未婚の女」
3人の未婚期を取り巻く状況、考え方の違い
それぞれの時代、世代における「未婚の女」であることへの価値観の変化に目を向けて欲しい?
む、むずかしい……!(時間をおいてからの感想)
書き出して整理してるうちに思い出したり別の考えが浮かんできたりしたのである程度まとまったら追記する…かも…
他の参考文献とか読んだらまた捉え方とか変わるかもしれないので、時間を見つけて読んでみたいですね。
舞台の内容についてつらつら考えて書いてみましたが、登場人物がそれぞれ主義主張というか信念みたいなものをもっているので、役者のみなさんの訴えかけるような視線を客席へ向けながらの演技が印象的でした。
夏川さんきっかけで観劇したわけですが、「未婚の女」を通していろいろ学ぶ機会を得られたので、夏川さんには感謝です……
そして、舞台「未婚の女」に携わったキャストスタッフの皆様、上演時間100分+αの充実した時間をありがとうございました。
もう少し、考えることを続けていきたいと思います。